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社会的に底辺でも、心まで底辺になるな。

 私と親しい人は既知のことであると思うが、自分は高校受験当時にして偏差値38の高校出身だ。中学時代も特別勉強ができないわけではなかったが、子への学問教育についてはあまり関心のない家庭であり、「公立高校へ進学すればスマホを買い与えてやる」との親からの一言を受けて選んだのは地元でも有名な名前を書ければ入れるとされる高校だった。勉学に励むことによる恩恵を知らずに育った私にとっては、受験勉強をしないという選択をするに至る十分な甘言であった。結果として学歴にこの高校があることが人生を狂わすような要素とはならなかったが、朱に交われば赤くなるということわざにぴったりの3年間を送ることとなる。

 低偏差値の高校と言えば地元密着系のヤンキー、不良の巣窟をイメージする読者諸賢も多いと考えるが、実態としては男女ともに人生に対して無気力な連中が大半を占める。もっとも前者のような連中は公立高校を受験せず、そもそも高校すら受験しないことが大半を占めるのではないだろうか。

 古典的で保守的な考え方ともいえるが学力と(それ以外の物事に取り組む)能力にはある程度の相関があると考えている。勉学の敗北者ともいえる彼ら、彼女らの大半は勉強以外についても成功体験に乏しく、常にネガティブな思考を持ち、挑戦要素があることを避けたネガティブな選択を取る傾向にある。人生に対する当事者意識は薄く、進路選択の時期で大半は「やりたい仕事などないので、進路指導の先生が紹介してくれた会社を言われた通りに受ける」「高卒で働きたくはないが、特にやりたい仕事もないので、成り行きでそれっぽい専門学校に進学する」「とりあえず地元の大学ならなんでもいい」といった受動的な進路を選ぶ。SNSの普及に伴いネガティブな情報も多く目に入るこの時代、人生の敗北者であると思い込んでる彼らはキャリアに対して、ポジティブな思考を巡らせることができない。

 なぜ唐突にこのような記事を書きだしたのかと言えば、長らく交流の無かった高校の連中と食事をする機会があり、長らく忘れていた当時の感情が思い起こされたため、これもまた暇なので文章に起こしてまとめておこうと思い今に至る。

 自分はそんな彼らに交わり無気力で怠惰な日々を過ごしていた。高校一年の時点では数学は四則演算、英語はアルファベットの補修から始まる。適正より遥か下の高校であったため、定期テストでは前日にテキストを軽く確認する程度で9~10割の点数になったが、そんなテスト学年平均が3~4割であることも珍しくはない。この高校で学ぶ学問はあまりにもくだらない内容にしか感じることができず、そんな退屈感を紛らわしてくれるゲームが楽しかったので、四六時中ゲームで遊んでいた。周囲から聞こえる話題も基本的には娯楽に関するものが殆どで、何か目標があって能動的に何かに取り組むようなコミュニティは殆どない。思えば出身の公立中学はそういったレベルも上から下まで多様性豊かであり、様々な刺激を受けられたように思うがそういう体験が一切なかった。言ってしまえば「下」の連中が集まったコミュニティがここだったのだな、この時点で既にそれぞれが見合った階層のコミュニティに纏まっていくのだな、と気づいていたのかもしれない。

 いざ進路選択の時期になった時、交流のあったSNSのコミュニティの影響なども大いにあったが、まずは客観的に自分の立ち位置を確認した。学力で言えば、高校受験期に十分勉学に励めば行けたであろう高校の連中とは著しい学力差が生じていた。文系と理系という概念が存在することも高3の時点で知った上に、自分が行きたいと朧げに考えていた分野は理系であるが理系科目を履修しておらず、経済環境もあまりよくない我が家では浪人も許されず、現実的に大学受験という選択肢は取ることができなかった。幸いにも適正偏差値よりも遥かに下の高校であったことに起因して評定的に指定校推薦はフリーパスであったので、これらの勉学の遅れで苦労することは覚悟のうえで、指定校推薦の取れる一番高い偏差値の理工系大学を選択した。

 地元の大学、専門学校、地場企業への就職が進路としては9割以上を占める高校であるため都内への大学進学者は毎年数名しかおらず、この選択により高校の連中の大半とは袂を分かつこととなった。想定通り大学に進学してからは学問では多分に苦労した。微分積分のビもまともに理解していない状態で、大学の微分積分を受講しているのだから、こんな奴が大学に入学しているとSNSで定期的に行われる指定校推薦叩きも納得せざるを得ないと感じた。ただ、頭が良いとも悪いとも言えない中堅の大学であるが、理系ということもあり周囲の出身高校の偏差値アベレージはそれなりに高く、能動的に人間関係を増やしていった結果、優秀な良き友人や恩師に恵まれた。学校の勉強についていくため、これまでの遅れを取り戻すという意味でも一番勉強に励んだのは大学時代だと今でも思う。結果として成績もあまり悪くはなく、大学院に推薦がもらえるGPAとはなった。ただ奨学金を借りているような経済状況であったため、これ以上借金を重ねるのは厳しいと判断し大学院へ進学はせず、就活で縁の合った中堅メーカーに技術系総合職として就職した。

 紆余曲折があり、昨日の記事にもあるが順調にキャリアアップを積み重ね今に至るが、ここで先日の高校の連中との集まりを思い返すと、思っていた通り彼らは当時から何一つ変わっていなかった。この年代になってくるとこういう場での話は自ずと今のキャリアであったり、家庭であったり、将来であったりといった話題が自然と出てくるものと思っていたが、話す内容は高校当時から何も変わらずどの娯楽を享受しているかという内容が殆ど。世の中のニュースや経済、政治にも一切関心がなく、自らを敗北者と自覚しているような素振りを見せるが認めきれないプライドと嫉妬が見え隠れしていた。彼らのレベルに合わせて話をしても新しい知識や発想など何も得るものがなく、本当に住んでる世界が違うのだな、真剣にキャリアに向き合ってこなかったのだなという感想を持たざるを得なかった。

 ただただ思ったこと、思い出したことをまとめただけなのでこの記事に特に結言はないのだが、強いて言えば関係を持つコミュニティは自分にとって得なのか損なのかというのは頭の片隅に置いておくべきなのだろうと思う。当然、人間関係は損得だけではないのだが、思わぬうちの損をするような、負のスパイラルに巻き込まれるようなコミュニティは存在する。逆もまた叱り、自分にとって得のある、良い循環が生まれ続けるようなコミュニティもあるのだろう。当時の自分にも選択の責任があり、特に親を怨んでいたりするわけではないが、中学時点である程度の向上心を持っていた自分にとってあの高校はそういう毒のような環境だったのだなと。読者諸賢も過去と今を含めて、自分の所属している、していたコミュニティが自分にとってどういう物であるかを考えてみたことがあるだろうか。とは言え適正に収束するというか、最終的にはこの記事の稚文のようなしょうもないことを考えてなくても自ずといるべきコミュニティにいるのだろうなと思う。でも自分のこれまでを鑑みた結果、自分を卑下して自分で可能性を摘むのはやめようなと。誰に向けて書いているんだ俺は。

新天地での生活に向けた思考の整理、キャリア展望など。

 転職活動を経て来月より、出生から27年間住んでいた千葉県に別れを告げて静岡県民となる。引っ越しへ向けて粗方手続きや整理が終わり暇を持て余しているので、表題の通り今の心境とキャリア展望などについてどんなことを考えていたかを整理しておこうと思う。

 新卒で入った前職には待遇や人間関係など大きな不満こそなかったが、業務内容的にも代わり映えのない日々退屈を感じていた。近年の会社の中長期計画の展望とも自分の思考とミスマッチを感じており、ここ1~2年は新たに習得したスキルもほぼなく、これ以上はこの環境に成長の余地がないと思い活躍の舞台を変えようと考え始めたのがここ半年のこと。

 世の中には給料がもらえて飯が食えればそれでいい、という価値観の人間が特に同世代には多いようにも見受けられる。一方で自分の仕事に対しての価値観としてはある種生涯趣味のような部分があり、人生の大部分を占める勤労時間において退屈で刺激のない内容が大半を占めるのが一番の毒であったらしい。大学進学において工学系の分野を選んだのも過去の強い成功体験から来ているものであるのだから、好きな分野の仕事に就いている今でもある程度の実績は残して行きたいという欲求も強いのだと再確認した。

 幸いにも転職活動はスムーズに進んだ。新卒就活に対しては正直あまり真面目に取り組んでいなかった後悔が多少なりともあったため、後悔しないためにも転職エージェント経由で可能性のありそうな大手企業を中心に応募した。前職での実績や転職市場動向の影響、応募した企業の中には前職で取引のあった企業もあり、当然落ちた数も多いが書類選考や面接での手ごたえはあった。結果としては2社の内定を頂き、その内1社が第一志望の企業であったため内定を承諾した。静岡県を地盤とする誰もが一度は名前を聞いたことがあるメーカーで、前述にもある前職で取引があった企業で前職のことを知っていただいていた部分もあり、運も多少味方したように思う。

 転職活動は自分のキャリア展望について見つめ直すことができる良い機会になったように思う。今をときめくIT業界などはさておき、古き良き製造業界全体として依然として長く勤めることによってのキャリア形成を求める企業が多く、20代後半から30代前半にかけての中途採用は即戦力でもあるが、面接ではどのように成長していきたいかを中心に問われるように思う。書類選考は純粋にスキルを見られる部分が大半を占めるように感じるが、面接ではある程度スキルが本当かどうかの確認もあるものの、このあたりのキャリア感に対するストーリーが中途半端であったり、それが応募先の求める展望とミスマッチがあると結果としてお見送りになるようだ。

 面接対策でこのためのストーリーを策定していく中で、自分の目指していくキャリアを「技術屋としては確かな地力を持ったうえで、それらを適切に展開していけるマネージャー」であると定めた。前職には0から1を生み出していく天才型のエンジニアが何人かおり、それを間近で見てきた中で自分の能力ではそこに達することが難しいと感じた。一方で各部門への必要な知識の展開や顧客への技術提案、プロジェクトの進行管理など、確かな知識をベースとしたコミュニケーション能力を活かす仕事は得意であると長所も理解していたため、将来的には適切に技術を管理、展開して行けるマネージャーを目指していくものとした。実際これが最終面接の大手企業の役員クラスのオジサンたちに結構ウケたのだから、そういう展望の整理は必要なのだと思う。

 結果として中堅メーカー→大手メーカーへのキャリアアップが成功し、オファー年収にもある程度満足しているので一般に転職活動は成功したといえるわけであるが、新卒時点でのキャリア展望と現時点でのキャリア展望も変わってきている(あまりマネージャー寄りではなかった)ので、また何年かしたらこの記事でまとめておいた思考とは違う思考をしているかもしれない。少なくとも「日々食べていくために、仕方なくやりたくもない仕事をする」というステージや状況、思考にはならないように最低限の勤勉さをもってこれからも要領よく社会で立ち回っていきたいところだ。

 色々書いていたら疲れた。あ~~~~~~~~

2023年

 2023年になりました、あけましておめでとうございます。Yahooブログサービス終了に伴い2019年にブログを立ち上げて4年が経ちましたが投稿記事は1本しかありません。

 気がつけば私は今年の3月で26歳、4月に社会人5年目を迎えます。残酷にも時の流れは早いものです。学生時代と違い社会人になると自ら行動を起こしタスクを作っていかない限りイベントも何もなく、ただただ、ひたすらに虚無な時が流れていくようです。私自身特別受け身で虚無を過ごし続けるタイプの人間ではないと自負していますが、人生ゲームの駒を進め始める同世代も数多く、そのバイタリティは見習っていくべきものがあると考えています。

 毎年年末年始には実家へ帰るようにしていますが、今年も一年ぶりとなる実家へ帰省しダラダラと過ごしております。ゆるキャン1期2期を全て視聴しました。学生時代は主にゲームで直向きに何かを達成して行く快楽にどっぷりと浸かっていましたが、こういったまったり観光をする作品をただただ眺めるのも悪くないなと思い始めています。これが大人になったことによる感性の変化とも言えるのでしょうか。

 食事には無頓着で基本的に牛丼屋と駅前のチェーン居酒屋にしか興味のなかった私ですが、最近は外食をするにも人と飲みに行くにもしっかり下調べを行った上でお店を予約して目的の美味しいものを頂くといった、言う人に言わせれば当然の行いまで始めました。良い意味で自分の中で何かが変わってきたなと言う感じがしますがしない気もするのでよくわからないですね。

 正直な所、会社で自分の取り組んでいる業務に対してはある程度の最適解ができてきており、これ以上何かを得ることがあるとは思えない単調な毎日を送っている気がしていて小さい焦燥感のようなものを感じ続けている気がします。「常に何かをしていないと」と言うほどではありませんが考えることをやめた時間はどうも苦手らしく、人と話したり、趣味に打ち込むことで何らかの充実感を得ようと模索している、そんな状況です。

 周囲の大人達がある程度の方向へ線引きをして敷いてくれていたレールを走り終えた後、そこから何をするか、成していくかを考えるのが今後の人生の難しさであると思います。ある人は精力的に行動を起こしてたくましく己のレールを敷き、ある人はまだレールに乗っているものであると勘違いしたまま何も行動を起こすこともなく、環境の不満だけを嘆いて終わる人もいますがそれが人生というものらしい。

特に意味のない1000文字の文字列を書いたら疲れたのでやめます。

ブログ開設と思ひ出を少々。

12月15日をもって、Yahooブログがサービスを終了しました。

 

僕が初めてSNSを使い始めたのがYahooブログでした。

当時はまだ中学生でYahooのIDすら持っておらず、母のIDを借りて開設した記憶があります。

今では死語となったであろう「厨二病」真っ盛りの時期で、痛々しい記事の内容をすべて母に見られていたというのは今となってはいい思い出(?)ですが、そんな僕も今は成人となり、大学を卒業し、普通のサラリーマンとなりました。

 

あの頃共にネットの片隅の狭い界隈を盛り上げていたメンツはどうなっているのでしょうか。大江清正はツイッターで病みツイートを垂れ流しながら度々炎上し、、あーうーはモラトリアムを延長しながら度々炎上しているようですが、紋次郎、姫華、船山、青さん等々、その後彼らはどのような人生を歩んでいるのでしょうか。

名前を上げようと思えばきりがないですし、知る由もありませんが平和に生きていてくれればいいなぁと。何かを成していてもおもしろいなぁと。

 

ノスタルジックな気分になりましたが思い出はここまでとして、Yahooブログがなくなってしまったので一応後継ぎ的な形でブログを残しておくこととしました。

はてなブログを選定したのはなんとなくです。

更新頻度はどうこうしようとは考えていませんが、気が向いたら更新しようと考えております。

記事の内容も気分次第ですが、末永くお付き合いくださいませ。